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4月が終わって仕舞うまでのカウントダウンが一桁になった頃から
千夜呼は少しずつ準備をしていた。
ほとんどその身一つで、今まで住まいを転々としてきた彼女の
荷物は驚くほど少ない。
虎太郎が学校へ行っている内に、鷹栖が仕事に行っている内に、
少しの荷物を持って、小羽都家を出て、学園を辞める。
それはとても簡単な事、準備に時間がかかったのは心のほうだ…。
繋いでくれる手を離して、頭を撫でてくれる手を離して
優しい笑顔が届かない遠い遠い場所へ…。
一度知ってしまった温もりを、完全に手放すことほど
苦しいものはなかった。
そんなこと、千夜呼自身が一番良く知っている。
けれど今は慶が傍にいるから、だから今なら出来ると思ったのだ。
カウントダウンもいよいよ【スリー】まで来ていた4月の28日。
千夜呼はその日の朝も同じ時間に起き、鷹栖に弁当と朝食を作った。
「いってらっしゃい、鷹栖さん。」
「ああ、今日は早く帰る。」
「お仕事大丈夫なんでス?最近毎日はやいでスけど。」
「なんもだ、行ってくる。いい子にしてなや。」
変な所で勘の鋭い虎太郎の目を欺くのも、なかなか困難だったが
どんなに上手く上辺を繕っても、どうしても鷹栖の目だけ
誤魔化すことが出来ないのは、年の功だろうか。
鷹栖を送り出したあと、朝食の後片付けをすませる。
だが千夜呼は、鷹栖の部屋でぺたんと座り込んだまま動かない。
10分
15分
30分
1時間――
始業の時間は、もうとっくに過ぎている。
それでも、千夜呼は動かないでいた。
ベランダから差し込む春の眩しい光に目を細め、ここではないどこかを
ぼんやりと見つめたまま…。
ようやく重い腰を上げ、学園へ向かう支度を始めたのは、それから
更に2時間も経った頃だった。
カタン
小さな音がした。
音の主はどうやら玄関のポストのようだった。
「おてがみ…。」
鷹栖宛が2通、そして千夜呼宛が1通。
数日前だったか、千夜呼は一人の少女に手紙を送っていた。
だからきっと、その返事が届いたのだと思いこみ、
差出人の名を確認せぬまま、彼女は封を開ける。
だがそこに並んでいた文字は、女性のものではなかった。
どんなに待ち望んでいただろうか。
期間にすれば、1年と少し。
ほんの1年、されど1年、彼女にとっては長い長い1年だった。
綴られた言ノ葉を、千夜呼はひとつずつ丁寧に拾い集めた。
そのひとつひとつは、まるで蛍の光のように小さい。
けれどとても温かく、千夜呼の心の中に光を灯してゆく。
やがてその小さな光の集まりは、闇夜を照らす月となった―。
虚ろだった千夜呼の瞳が、ゆっくりと黄金色に戻ってゆく。
焼ける様に熱い喉を、とめどなく溢れ出す涙達を気にも留めず
千夜呼は手紙を抱きしめながら、たった一言だけ、呟いた―。
「たつや、さん…。」
4月28日。
この日見せた笑顔は、慶がまだ存命だった頃2人で撮られた
写真の中の彼女のものと、とてもよく似ていた――。
千夜呼は少しずつ準備をしていた。
ほとんどその身一つで、今まで住まいを転々としてきた彼女の
荷物は驚くほど少ない。
虎太郎が学校へ行っている内に、鷹栖が仕事に行っている内に、
少しの荷物を持って、小羽都家を出て、学園を辞める。
それはとても簡単な事、準備に時間がかかったのは心のほうだ…。
繋いでくれる手を離して、頭を撫でてくれる手を離して
優しい笑顔が届かない遠い遠い場所へ…。
一度知ってしまった温もりを、完全に手放すことほど
苦しいものはなかった。
そんなこと、千夜呼自身が一番良く知っている。
けれど今は慶が傍にいるから、だから今なら出来ると思ったのだ。
カウントダウンもいよいよ【スリー】まで来ていた4月の28日。
千夜呼はその日の朝も同じ時間に起き、鷹栖に弁当と朝食を作った。
「いってらっしゃい、鷹栖さん。」
「ああ、今日は早く帰る。」
「お仕事大丈夫なんでス?最近毎日はやいでスけど。」
「なんもだ、行ってくる。いい子にしてなや。」
変な所で勘の鋭い虎太郎の目を欺くのも、なかなか困難だったが
どんなに上手く上辺を繕っても、どうしても鷹栖の目だけ
誤魔化すことが出来ないのは、年の功だろうか。
鷹栖を送り出したあと、朝食の後片付けをすませる。
だが千夜呼は、鷹栖の部屋でぺたんと座り込んだまま動かない。
10分
15分
30分
1時間――
始業の時間は、もうとっくに過ぎている。
それでも、千夜呼は動かないでいた。
ベランダから差し込む春の眩しい光に目を細め、ここではないどこかを
ぼんやりと見つめたまま…。
ようやく重い腰を上げ、学園へ向かう支度を始めたのは、それから
更に2時間も経った頃だった。
カタン
小さな音がした。
音の主はどうやら玄関のポストのようだった。
「おてがみ…。」
鷹栖宛が2通、そして千夜呼宛が1通。
数日前だったか、千夜呼は一人の少女に手紙を送っていた。
だからきっと、その返事が届いたのだと思いこみ、
差出人の名を確認せぬまま、彼女は封を開ける。
だがそこに並んでいた文字は、女性のものではなかった。
どんなに待ち望んでいただろうか。
期間にすれば、1年と少し。
ほんの1年、されど1年、彼女にとっては長い長い1年だった。
綴られた言ノ葉を、千夜呼はひとつずつ丁寧に拾い集めた。
そのひとつひとつは、まるで蛍の光のように小さい。
けれどとても温かく、千夜呼の心の中に光を灯してゆく。
やがてその小さな光の集まりは、闇夜を照らす月となった―。
虚ろだった千夜呼の瞳が、ゆっくりと黄金色に戻ってゆく。
焼ける様に熱い喉を、とめどなく溢れ出す涙達を気にも留めず
千夜呼は手紙を抱きしめながら、たった一言だけ、呟いた―。
「たつや、さん…。」
4月28日。
この日見せた笑顔は、慶がまだ存命だった頃2人で撮られた
写真の中の彼女のものと、とてもよく似ていた――。
色とりどりの花々が咲き誇る庭園。
池の水面は太陽の光を映しこみ、宝石の如くキラキラと煌めく。
その美しさはまるで、天国のよう…。
この場所で二人は、約束をしていた。
果たせなかった約束を、今こそ果たそうと。
約束の時間、タキシード姿のスカルサムライは東屋の前で
ひとり空を見上げていた。
生前に良くそうしていたように、青い青い空を……。
「慶おにぃちゃん…っ!」
死して尚、ひと時も忘れた事のなかった愛しい者の声を聞き
慶はゆっくりと振り返る。
視線の先には、いつの日か、来るべきその日の為に、彼女の為に
デザインしていたあの純白のウエディングドレスに身を包み
駆けて来る千夜呼の姿があった。
太陽よりも眩しい笑顔、慶はゆっくりと手を広げる。
その腕で、誰よりも愛しい少女を抱きしめる為に……。
二人きりの結婚式、参列者など、祝福する者など要らない。
なぜなら二人は今、この世界で一番幸せだったから…。
「やっと……やっと、ですね。」
「―――――。」
「色々ありました…ほんとに。」
「―――――。」
「やっぱり…ちゃこを 一人の女の子として、本当に必要として
くれるのは…慶おにぃちゃんだけみたい…。」
「―――――。」
腕の中の千夜呼の頭を、優しく優しく撫でる。
体温のない手で、慈しむように何度も、何度も…。
「だいすき……だいすき慶おにぃちゃん…。」
『愛しているよ、千夜呼。』
千夜呼には確かにそう、聞こえた気がした。
嗚呼、ワタシの人生は、こんなにも素晴らしい。
ワタシの人生は、こんなにも美しい。
美しすぎる世界に、込み上げるのは幸せな気持ち。
そして、溢れるのは……宝石のような涙。
池の水面は太陽の光を映しこみ、宝石の如くキラキラと煌めく。
その美しさはまるで、天国のよう…。
この場所で二人は、約束をしていた。
果たせなかった約束を、今こそ果たそうと。
約束の時間、タキシード姿のスカルサムライは東屋の前で
ひとり空を見上げていた。
生前に良くそうしていたように、青い青い空を……。
「慶おにぃちゃん…っ!」
死して尚、ひと時も忘れた事のなかった愛しい者の声を聞き
慶はゆっくりと振り返る。
視線の先には、いつの日か、来るべきその日の為に、彼女の為に
デザインしていたあの純白のウエディングドレスに身を包み
駆けて来る千夜呼の姿があった。
太陽よりも眩しい笑顔、慶はゆっくりと手を広げる。
その腕で、誰よりも愛しい少女を抱きしめる為に……。
二人きりの結婚式、参列者など、祝福する者など要らない。
なぜなら二人は今、この世界で一番幸せだったから…。
「やっと……やっと、ですね。」
「―――――。」
「色々ありました…ほんとに。」
「―――――。」
「やっぱり…ちゃこを 一人の女の子として、本当に必要として
くれるのは…慶おにぃちゃんだけみたい…。」
「―――――。」
腕の中の千夜呼の頭を、優しく優しく撫でる。
体温のない手で、慈しむように何度も、何度も…。
「だいすき……だいすき慶おにぃちゃん…。」
『愛しているよ、千夜呼。』
千夜呼には確かにそう、聞こえた気がした。
嗚呼、ワタシの人生は、こんなにも素晴らしい。
ワタシの人生は、こんなにも美しい。
美しすぎる世界に、込み上げるのは幸せな気持ち。
そして、溢れるのは……宝石のような涙。
『気分を変えたい…』
そんな何気ない千夜呼の独り言に、付き合おうと名乗りを上げたのは
汐儀・偃鴉(しおのぎ・えんや)、その人だった。
和服を好む二人はこの日、初めて白と黒の軍服に身を包み
紫刻館へと赴いたのだった。
偃鴉は、一見するととても穏やかな雰囲気を持っているが
どこか飄々としており、心に大事な何かを秘めている様で…。
千夜呼はそんな偃鴉と、何か通ずるものを感じたのか
いつからかよく懐き、話をする間柄になっていった。
「一寸、休憩しない?」
「…そう、ね。」
ゴーストを一掃し、静けさを取り戻した紫刻館の一室。
そこで二人は、暫し身体を休めることにした。
燭台に火を灯すと、ぼんやりとした明るさに包まれる。
そこには二人掛けのソファが一つ、ぽつんと置かれていた。
千夜呼は腰に装着していた乗馬鞭で埃を軽くはたくと
一人分のスペースを残し、気だるい表情で腰を下ろした。
「…鞭持ちながら疲れた顔してるの見ると、何かいかがわしい
想像してしまうなぁ…。」
偃鴉は真面目な顔でそんな台詞を言うと、静かに千夜呼の隣へ
腰を下ろした。
「いかがわしい汐儀さんにそんな事いわれるなんて、光栄だわ…。」
「光栄なのか其れ…。」
薄暗い部屋、ヴェルヴェットのカーテン、狐火の様な炎。
部屋の雰囲気のせいだろうか。
クスリと微笑む瞳や唇は、普段より妖艶に見えた。
自分の事を純潔な方だと思っていたのに、と反論しつつ
偃鴉もつられて小さく笑い返した。
言葉や口調と裏腹な、偃鴉の眼鏡の奥の瞳を、千夜呼はどこか
虚ろな目で見ていた。
「ほんと、ヘンなヒトね…。」
それは決して、否定的な物言いではなかった。
偃鴉の組んだ足に上半身の体重を預けたのが、何より証拠だ。
「ねぇ、だけど落ち着くの……だからワタシ、アナタ好きよ?」
ふいに千夜呼が、そんな事を口にする。
それはどこか、すがりついてくる子供の様にも見えた。
「…いやま、俺も異空好きだけどね? さらっと云われると
照れる暇が無いな。」
冗談めいて、そんな台詞を吐く偃鴉の手が、膝の上の千夜呼の
長い髪に伸ばされた。
『…触らないで頂戴。』
いつもの調子で、そんな言葉が飛んでくるものかと思われたが
意外にも抵抗する素振りも見せず、されるがまま…。
そんな彼女を見ていると、これは幻で、ふぅっとこのまま
消えてしまうのではないか、そんな錯覚さえ覚えてしまう。
当の千夜呼はというと、体温を頬で、腕で確かめながら
『好きだけどね』
先ほどの、その言葉を反芻していた、何度も…。
「……そう……有難う。」
「…ん?」
「あり、がと……。」
「…眠いの?おやすみ?」
何か…思い詰めた様な表情をした後、千夜呼の黄金の瞳は
目蓋に覆い隠されてしまった。
この束の間の休息で、千夜呼が何を想い、思ったのか。
それはもう、誰にも分からない…。
仮初めの温もりと、仮初めの夜の中。
偃鴉は小さな吐息を聞きながら、千夜呼が黄金の瞳で再び
この哀しく歪んだ現実の世界を見るその時まで
静かに時を共にした。
偃鴉の細い指と指の間を、すり抜けてゆく黒髪。
まるで砂の如く、遠い日の幸せだったあの日々の如く
いとも簡単に、さらさらと……さらさらと…………。
そんな何気ない千夜呼の独り言に、付き合おうと名乗りを上げたのは
汐儀・偃鴉(しおのぎ・えんや)、その人だった。
和服を好む二人はこの日、初めて白と黒の軍服に身を包み
紫刻館へと赴いたのだった。
偃鴉は、一見するととても穏やかな雰囲気を持っているが
どこか飄々としており、心に大事な何かを秘めている様で…。
千夜呼はそんな偃鴉と、何か通ずるものを感じたのか
いつからかよく懐き、話をする間柄になっていった。
「一寸、休憩しない?」
「…そう、ね。」
ゴーストを一掃し、静けさを取り戻した紫刻館の一室。
そこで二人は、暫し身体を休めることにした。
燭台に火を灯すと、ぼんやりとした明るさに包まれる。
そこには二人掛けのソファが一つ、ぽつんと置かれていた。
千夜呼は腰に装着していた乗馬鞭で埃を軽くはたくと
一人分のスペースを残し、気だるい表情で腰を下ろした。
「…鞭持ちながら疲れた顔してるの見ると、何かいかがわしい
想像してしまうなぁ…。」
偃鴉は真面目な顔でそんな台詞を言うと、静かに千夜呼の隣へ
腰を下ろした。
「いかがわしい汐儀さんにそんな事いわれるなんて、光栄だわ…。」
「光栄なのか其れ…。」
薄暗い部屋、ヴェルヴェットのカーテン、狐火の様な炎。
部屋の雰囲気のせいだろうか。
クスリと微笑む瞳や唇は、普段より妖艶に見えた。
自分の事を純潔な方だと思っていたのに、と反論しつつ
偃鴉もつられて小さく笑い返した。
言葉や口調と裏腹な、偃鴉の眼鏡の奥の瞳を、千夜呼はどこか
虚ろな目で見ていた。
「ほんと、ヘンなヒトね…。」
それは決して、否定的な物言いではなかった。
偃鴉の組んだ足に上半身の体重を預けたのが、何より証拠だ。
「ねぇ、だけど落ち着くの……だからワタシ、アナタ好きよ?」
ふいに千夜呼が、そんな事を口にする。
それはどこか、すがりついてくる子供の様にも見えた。
「…いやま、俺も異空好きだけどね? さらっと云われると
照れる暇が無いな。」
冗談めいて、そんな台詞を吐く偃鴉の手が、膝の上の千夜呼の
長い髪に伸ばされた。
『…触らないで頂戴。』
いつもの調子で、そんな言葉が飛んでくるものかと思われたが
意外にも抵抗する素振りも見せず、されるがまま…。
そんな彼女を見ていると、これは幻で、ふぅっとこのまま
消えてしまうのではないか、そんな錯覚さえ覚えてしまう。
当の千夜呼はというと、体温を頬で、腕で確かめながら
『好きだけどね』
先ほどの、その言葉を反芻していた、何度も…。
「……そう……有難う。」
「…ん?」
「あり、がと……。」
「…眠いの?おやすみ?」
何か…思い詰めた様な表情をした後、千夜呼の黄金の瞳は
目蓋に覆い隠されてしまった。
この束の間の休息で、千夜呼が何を想い、思ったのか。
それはもう、誰にも分からない…。
仮初めの温もりと、仮初めの夜の中。
偃鴉は小さな吐息を聞きながら、千夜呼が黄金の瞳で再び
この哀しく歪んだ現実の世界を見るその時まで
静かに時を共にした。
偃鴉の細い指と指の間を、すり抜けてゆく黒髪。
まるで砂の如く、遠い日の幸せだったあの日々の如く
いとも簡単に、さらさらと……さらさらと…………。
御紹介
名前:
異空 千夜呼
生誕:
1991/11/11
過去録